大阪
朱印番号 R22
寺 社 名 千手寺
別称 etc  
所 在 地 大阪府東大阪市東石切町3-3-16
     恵日山
参 拝 日 R05.05.25
宗   派 真言毘盧舎那宗
主な札所 河内西国霊場第10番
   
   
御 本 尊 千手観音菩薩
特記事項
 近鉄奈良線の石切駅から南へ600mの所にあり
ます。拝観資料によると、今から千三百年程昔
のこと、笠置山千手窟で修行していた役行者が
不思議な神光に導かれて生駒山を越えこの地に
到りました。岩上に草を敷き黙念する行者の前
に千手観音が諸々の神祇を並び従えて姿を現わ
しました。そこでこの地を拓いてはじめて寺を
建て、恵日山千手寺と称しました。そのために
この寺を俗に光堂と称し、また里の名を神並村
(こうなみのさと)と号するようになりました。
平安時代のはじめの頃、弘法大師もこの千手寺
に止宿し修行をされていました。ある日、青衣
の童女の善女竜王が大師の前に現れ、『我れ幸
いにも阿耨達池(あのくだっち)に浸した補蛇落
山(ふだらくさん)の香木を所持して久しい』
と言って空海にこれを与えました。空海はこの
香木で観音像を刻みこの寺に祀りました。その
後、惟喬親王の乱の兵火により堂宇など悉く失
してしまいました。千手観音は自ら深野池(大
東市深野に現存する太古の池)に飛び込みまし
た。その夜天皇は在原業平と共にこの山に逃れ
られ、その時この池の中から光を放つもの見て、
池を調べると沈んでいた千手観音像を発見し天
皇に献上しました。天皇は大変喜ばれ業平に命
じてこの寺を中興し、五院(上之坊・中之坊・
下之坊南之坊・北之坊)を建立しました。在原
業平との縁がが深く境内には関連のお堂や石碑
があります。この日は平日だったためか、人気
がなく御朱印は本堂前に置かれた書置きでした。
    

 

<拝観資料>
   

 

<拝観資料>    
         

  

在原業平公の腰掛石     山   門 

山門の左に在原業平の腰掛椅子があります
 

本   堂     鐘   楼 

寺 務 所     護 摩 堂 

在原業平公御堂     桂文之助の句碑 

中興開山:在原業平 当山鎮守:菅原道真と
刻まれた石碑(右)があります


『業平と 背中合せの ぬくさかな』とかかれており、これは芭蕉の弟子・島崎又玄の句『木曾殿と背中合わせの寒さかな』を落語家らしくパロデー化したものです  

 
滋賀県の義仲寺の境内にある島崎又玄の句碑

弁 天 社  滝 行 場 役行者像     

水は枯れて流れていませんでした
  左写真では小さくてわかりにくいですが中ほどに役行者像があります

  弁天塚古墳     

本堂の裏に6世紀後半に作られたという全長9m程の
大きな横穴式の円墳があります
 

北   門   石切参道側からの入口



入口の左は千手寺北向延命地蔵、右は三福神堂があります。