奈良
朱印番号 Q39
寺 社 名 永慶寺
別称 etc  
所 在 地 奈良県大和郡山市永慶寺町5-76
     龍華山
参 拝 日 R04.06.08
宗   派 黄檗宗
主な札所  
   
   
御 本 尊 釈迦三尊
特記事項
 近鉄橿原線の大和郡山駅から北西に600mの
所にあります。大和郡山城跡に隣接し、風光
明媚な場所にあります。境内の由緒書き・拝
観資料等によると、永慶寺は徳川五大将軍の
御側用人柳沢吉保の発願により、宝永元年
(1704)に藩祖・柳沢吉保(徳川五代将軍の御
側用人)が15万石余の俸禄で、甲斐国甲府
城主(現山梨県甲府市)に任ぜられました。
そして、宝永7年(1711)に甲斐国岩窪村躑躅
ヶ崎に祖霊の冥福の供養と一族の武運長久を
祈願し、菩提寺を建立しました。寺号は吉保
公の戒名から龍華山永慶寺と名付け、黄檗宗
第八代悦峰禅師を開山とし、寺領370石を賜
りました。 享保9年(1724)に柳澤家二代・
吉里公時代に幕府の命により、甲府・柳澤藩
が大和郡山へ国替えとなり、永慶寺も柳澤家
と共に現在地に移りました。この際、甲府永
慶寺に在った吉保公夫妻の墓所は、乾徳山恵
林寺(現山梨県塩山市内・臨済宗・妙心寺派・
武田信玄公菩提寺)に改葬されました。大和
郡山に移転後、永慶寺は柳澤家の信仰の場と
して、大和郡山での別邸的な要素も兼ねて、
歴代藩主の屁護の下で明治維新を迎えました。
明治維新後、一般の要望に応えて山内の梅林
を開拓し、墓地として開放しました。今日、
柳澤家をはじめ、数多くの関係者に支えられ
て新しい時代へと歩んでいます。寺院の近く
には城の石垣や堀があり、郡山高校があり、
文教地区にもなっていて、静かな緑に包まれ
た絶好の環境になっています。その中で寺院
の境内も隅々まで手入れが行き届いていて、
非常に美しい寺院です。
 

 

<拝観資料>
         

  

山   門     山門の説明板 

郡山城南門を移築したもので、なかなか重厚感があります
 

駐 車 場     弁 天 門 

山門横(北)にあり、12~15台くらいは駐車できそうです
右側は郡山高校のグランドです
 
 山門の南側にあります。いかにも禅寺という感じです。
竜宮城にも似てるかな

鐘   楼     大雄宝殿(本堂) 

 大雄宝殿は御朱印にも書かれている文字で、
本堂の正式名称です。大雄というのはお釈迦様
の別号とのことだそうです。

本堂横のソテツ      香 厳 殿 
 
柳沢家の仏間です

庫   裏      寺 務 所 
 

永慶寺会館     境内の庭園  

境内のあちらこちらにさな小庭園が盆栽のように
美しく配置されていますあります。よく手入れがされています

    境内の庭園 

石には人物か仏かが刻まれているようですが、
よく分かりません。

石と植物の配置が絶妙です

由 緒 板     地 蔵 堂 

句  碑  境内の花

森田峠の句碑です
金魚田のありとも見えず町繁華

境内にはクチナシの花があちらこちらで咲いていて
芳香が漂っています

 

弁天堂への鳥居      弁 天 堂