大阪
朱印番号 P45
寺 社 名 楠妣庵観音寺
別称 etc  
所 在 地 大阪府富田林市大字甘南備1103
     峰條山
参 拝 日 R03.10.10
宗   派 臨済宗妙心寺派
主な札所 河内西国霊場第20番
  楠公史跡河南八勝第二蹟
   
御 本 尊 千手観音菩薩
特記事項
 近鉄長野線の河内長野駅から東へ 5.3kmの
所にあります。富田林駅だと 7.5kmあります
が金剛バスが出ており東条線「甘南備」で下
車しすぐです(但し、1-2Hr間隔)。4-5台程度
停められる駐車場もありますが傾斜地になっ
ています。拝観資料によると、峰條山観音寺
は、楠正行が在世中、後醍醐天皇が崩御の後
に太上皇神を君主として仰がんため、峰條山
の一角の地を浄め一殿を作って、同天皇の念
持仏であった千手観音を奉安し、峰條山観音
殿と称していました。延元元年(1336)楠正成
が湊川で、 正平3年(1348)正行が四条畷で戦
死した後、楠公夫人の久子は、敗鏡尼と称し
て、故郷の甘南備に一草庵を結び、正成をは
じめ一族郎党の菩提を弔い、余生を16年ここ
で過ごしました。その庵が楠妣庵と称され、
敗鏡尼入寂後、正行の弟、正儀は、観音殿を
観音寺と改め、楠氏一族の香華寺とし、不二
房(藤原藤房卿)行者を住せました。その後、
同寺は、兵火などの災厄に遭い、楠妣庵とと
もに久しく廃滅していたが、楠妣庵の再興に
続き大正11年(1922)壮麗な観音寺本堂が再建
され昭和3年(1928)には書院が落成しました。
府道209号から脇道に入ると、 一転して木々
が深く茂る森の中に入り、いかにも静寂な感
じがする寺院です。
   
 

 

   

 
 




 

 

山門への石段 楠母子の像

『楠公史跡河南八勝第二蹟』と刻まれています
 
楠木正成の妻で、楠木正行の母である久子との母子の像です。

 

市の保存樹    楠木正成像
富田林市の保存樹となっているケヤキです
後醍醐天皇が隠岐より帰られたに迎えた時の
楠木正成の像だそうです


山   門 南   門
 

本  堂 本  堂
 
楠妣庵のある高台からの本堂です

手 水 舎 庫  裏
 

納 経 所       楠妣会館
 

草庵への石段       観 音 堂

夫観音寺から楠妣庵への石段
 
久子夫人の念持仏である十一面観音が安置されています

久子夫人の草庵       久子夫人の墓所
 久子夫人が正平3年から16年間住んでいた草庵を、
当時の様式にのっとり大正6年に建立したものです
 
なかなか立派なお墓です

 

昭和天皇お手植えのくすのき       秩父宮殿下お手植えのくすのき