奈良
朱印番号 P34
寺 社 名 法輪寺
別称 etc  
所 在 地 奈良県生駒郡斑鳩町三井1570
     妙見山
参 拝 日 R03.07.22
宗   派 聖徳宗
主な札所 聖徳太子霊跡第16番
  大和北部八十八ヶ所霊場第53番
   
御 本 尊 薬師如来(重要文化財)
特記事項
 JR法隆寺駅から北へ2.6km(法隆寺から北へ1km)
の所にあります。拝観資料の沿革によると、法輪
寺は斑鳩の北方にあり、土地の名により三井寺と
も呼ばれています。三井の地名は古く、聖徳太子
が飛鳥より三つの井戸をこの地に移したところか
ら起こったと伝えられています。法輪寺の創建は
飛鳥時代に遡り、聖徳太子の御子・山背大兄王が
太子のご病気平癒を願ってその子・由義王らとと
もに建立したという説と、もうひとつは、百済開
法師・円明師、下氷新物三人が合力して造寺した
とも伝えられています。昭和25年の発掘調査で
は、当寺が法隆寺式伽藍配置が法隆寺式であるこ
と、規模は法隆寺西院伽藍の3分の2であること、
出土する鐙瓦・宇瓦の文様が法隆寺のそれぞれと
類似することが判明していることから、7世紀末
頃にはかなり寺観が整っていたであろうと考えら
れています。十一面観音菩薩立像・弥勒菩薩立像
・地蔵菩薩立像・吉祥天立像・米俵毘沙門天立像
など、平安時代の仏様を多く伝えることから、
平安時代には寺勢はなお盛んであったようです。
その後、次第に衰退し、江戸時代には境内に三重
塔を残すのみとなりました。法輪寺の再興は享保
年間に、寳祐上人によってはじめられました。
上人は復興の勧進のため、当寺の聖徳太子感得と
伝える妙見菩薩信仰の熱心な信者をはじめ大坂の
商人を中心に多くの法縁を得て、まず三重塔が修
理されました。更に講堂・金堂等も順次再建され
長い年月をかけて現在に至っています。木造薬師
如来坐像・木造虚空蔵菩薩立像・木造十一面観音
菩薩立像等多くの重文の仏像があり、講堂内(要
拝観料)に保管されています。境内はさほど広く
はありませんが、町営の大きな観光駐車場とお寺
の駐車場(いずれも無料)があります。
  
 

 

  <拝観資料>  
 






 

  

  山 門 (南門)     
 

沿 革 板  手 水 舎

三 重 塔      三重塔説明板

三重塔は明治時代に入って国宝に指定され、明治36年(1903)には解体修理が行われましたが、昭和19年に雷火にて炎上・焼失しした。現在の塔は昭和50年に再建されました。
 



金   堂      講   堂 

 
仏像や御朱印所はこの建物の中にあります

 

鐘   楼      梵   鐘 

 

  妙 見 堂     
 

地 蔵 堂      地蔵堂横の石仏 


塔心礎(複製)     庫   裏 

説明板によると、旧塔心礎は現在の塔にそのまま
使用され仏舎利が奉安されています
 



  境内全景