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府 県 |
大阪 |
朱印番号 |
P28 |
寺
社 名 |
美具久留御魂神社
(みぐくるみたまじんじゃ) |
別称
etc |
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所
在 地 |
大阪府富田林市宮町3丁目2053 |
山
号 |
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参
拝 日 |
R03.02.14 |
宗
派 |
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主な札所 |
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主 祭
神 |
美具久留御魂大神(大国主命) |
特記事項 |
近鉄長野線の喜志駅から南西へ 1kmの所に
あります。拝観資料の由緒によると、崇神天
皇10年に、この地に大蛇が多く出没し農民を
悩ませました。天皇は「これは大国主神の荒
御魂の荒ぶなり。よろしく祀るべし。」と言
い祀らせました。その後同天皇62年に、丹波
国の氷香戸辺の小児に「玉菨鎮石。出雲人祭、
真種之甘美鏡。押羽振、甘美御神、底寶御寶
主。山河之水泳御魂。静挂甘美御神、底寶御
寶主。」というご神託がありました。天皇は
それをお聞きになって、活目入彦命(垂仁天
皇)を河内国支子に遣わし当社を祀らせ、美
具久留御魂大神という名を与えまつられまし
た。当神社は歴代天皇からの崇敬が厚く、文
徳天皇の嘉祥3年(850)には神階を従五位上
に進められ、光孝天皇は河内大社の勅額を奉
られました。また延喜式には官幣に列せられ
当国二の宮石川郡の総社とも称せられました。
南北朝時代には南朝歴代のご信仰も厚く、ま
た楠木氏は上水分社(建水分神社、千早赤阪
村鎮座)と共に当神社を下水分社と称し氏神
として信仰されたので、戦乱の間にも朝廷は、
神社にしばしば参拝したり、社殿を造営され
たりしました。入口の注連柱がある所から本
殿迄は東西一直線上にあり、「眞名井ヶ原」
という山をご神体とした美しい神社です。
又、下拝殿は割拝殿になっていて、そこから
更に上拝殿へは長い参道階段が続いていて、
この辺りの雰囲気が印象的でした。
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