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府 県 |
大阪 |
朱印番号 |
P27 |
寺
社 名 |
建水分神社(たけみくまりじんじゃ) |
別称
etc |
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所
在 地 |
大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分357番地 |
山
号 |
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参
拝 日 |
R03.02.13 |
宗
派 |
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主な札所 |
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主 祭 神 |
天御中主神、天水分神、国水分神、罔象女神
瀬織津媛神 |
特記事項 |
近鉄富田林駅から南東へ 5.9kmの所にあります。
近鉄富田林駅からバスがでています(バス停は神社
すぐ前の水分)。拝観資料・御由緒によると、創建
は第10代崇神天皇5年(西暦前92)で、天下饑疫
にみまわれ人民が農事をできなくなった時、同天皇
が諸国に池溝を作り農事を勧めました、この時、金
剛葛城の山麓に水神として奉祀されました。延長5
年(927)に『延喜式-神名帳-』に「建水分神社」
と記載された式内社です。皇室の崇敬が極めて篤く、
第96代後醍醐天皇の御代に至り、建武元年(1334)
に楠木正成公に勅して、元は山下にあった社殿を現
地山上に遷し、本殿、拝殿、鐘楼等が再営され、延
元2年(1337)に神階正一位の極位を授かりました。
当社は霊峰金剛山の総鎮守で、古来より付近18ケ村
の産土神であると共に、この地を本拠とした楠木氏
の氏神でもあります。正成公は勅を奉じ征賊の軍を
起こすに当たり、当社への祈念厚く、「久方の天津
朝廷の安かれと 祈るは國の水分の神」と詠みまし
た。中世には、織田信長が河内国攻略に際し、当社
領をことごとく没収し、境内も焼討ちの被害に遭い
衰退しました。しかし、豊臣秀吉が再び田地を寄進
し復興しました。尚、大鳥居の「正一位 水分大明
神」の扁額は、楠木正行公が奉納の木額の表面(伝
・後醍醐天皇宸筆)が摩滅した為、宝永2年(1705)
金銅製にて模造したもので、文字は時の前大納言・
葉室(藤原)頼孝卿の筆によるものです。社務所に
戦艦金剛のプラモデルが置かれているので、宮司さ
んに尋ねたところ、戦艦金剛の艦内神社には昭和5
年から建水分神社の御分霊が奉安されていたとのこ
とで、現在も自衛隊の潜水艦に御分霊が奉安されて
いるとのことでした。私事ですがこの日、神社から
帰ろうと車を発車しようとした時、エンジンキーと
ハンドルが全く効かず、あせって、社務所に駆け込
み宮司さんに助けを求めたところ、ハンドルロック
では、ということでうまく対応して下さいました。
大変助かりました。
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