京都
朱印番号 P12/P13
寺 社 名 中宮寺
別称 etc  
所 在 地 奈良県生駒郡
     法興山
参 拝 日 R02.09.20
宗   派 聖徳宗
主な札所 神仏霊場巡拝の道第27番
  聖徳太子霊跡第15番
  中部尼寺巡り第15番
御 本 尊 如意輪観音
特記事項
 JR法隆寺駅から北へ1.7kmの所にあります。
法隆寺の東院伽藍・夢殿の隣にあります。
拝観資料・沿革によると、聖徳太子の母穴穂
部間人皇后の御願によって、太子の宮居斑鳩
宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置
に創建された寺です。その旧地は、現在の東
方500m程の所に土壇として残つて居ます。
昭和38年の発掘調査により、南に塔、北に金
堂を配した四天王寺式配置の伽藍であったこ
とが確認されています。しかも其の出土古瓦
は若草伽藍にはなく、飛鳥の向原寺(桜井尼
寺)と同系統のもので、法隆寺は僧寺、当寺
は尼寺として初めから計画されたとされてい
ます。教科書にも記載されている有名な菩薩
半跏像(如意輸観世音菩薩)・天寿国曼茶羅
は国宝となっています。平安時代には寺運衰
退し、宝物の主なものは法隆寺に移され、僅
かにお堂一宇を残して菩薩半蜘像のみの状態
でした。鎌倉時代に入って中興信如比丘尼の
尽力により、天寿国曼荼羅を法隆寺宝蔵内に
発見して取り戻すなど、いく らかの復興を
見たものの、往時の盛大には比すべくもあり
ませんでした。たびたび火災に遭い、法隆寺
東院の山内子院に避難し、旧地への再建はな
らず、ここに後伏見天皇八世の皇孫尊智女王
(慶長七年薨)が御住職となり、以来尼門跡
斑鳩御所として次第に寺観を整えたのが今の
伽藍です。大和三門跡尼寺の随一としてその
伝統を伝えいます。
  

 

<如意輪観音>   <太子往生天寿国>        
 

<拝観券/拝観資料>   <散 華>        


 


中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像は
昔、50円通常切手にもなっています

 

 

中宮寺門跡の石碑      秋草道人(会津八一)の歌碑 



 
あめつちにわれひとりゐてたつごとき
           このさびしさをきみはほほゑむ
(天地にわれ一人ゐて立つごときこの寂しさを君はほほゑむ)

山   門  拝観入口
 

中宮寺の歴史説明板      授 与 所 


      ○ 


法堂への入口  表御殿

 


皇后宮御歌碑     中宮寺新御堂建造の碑

女官長・北白川祥子謹書
『中宮寺の都(つ)い地(ち)のうちにしつも利天(りて)
ささん久王(くわ)の花 清ら可耳(かに)佐久(さく)』
と書かれていました

 

本堂は昭和43年に建立されたとの記載があります


境内の壁     秋草道人(会津八一)の歌碑  
 
歌人・會津八一が中宮寺を訪れ、「菩薩半跏像」を見た時に詠ったものだそうです。
『みほとけの あごとひぢとに あまでらの あさの ひかりの ともしきろかも』
本  堂     本  堂
この本堂の中に、本尊ともなっている菩薩半跏思惟像(国宝)
があります


 

  本堂入口   



独本堂入口の扉には菊の御紋がありました