府 県 |
京都 |
朱印番号 |
N06/N07 |
寺
社 名 |
廬山寺 |
別称 etc |
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所
在
地 |
京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町397 |
山
号 |
廬山 |
参
拝 日 |
H31.4.21 |
宗
派 |
天台圓淨宗 |
主な札所 |
洛陽三十三所観音霊場第32番 |
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京都七福神 |
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主 祭
神 |
阿弥陀如来 |
特記事項 |
京阪本線の出町柳駅から南南西へ 1kmの所にあり
ます。拝観資料の沿革によると、廬山寺は天台圓浄
宗の大本山で、正式には廬山天台講寺といいます。
天慶年間(938) に比叡山第十八世座主元三大師良源
(慈恵大師)が京都の北、船岡山南麓に開いた與願金
剛院に始まります。寛元三年(1245)に法然上人に帰
依した住心房覚瑜上人が出雲路に廬山寺を開き、南
北朝時代にこの二ヵ寺を兼務した明導照源上人によ
って廬山寺が與願金剛院に統合されました。この時
以来寺名を廬山寺から廬山天台講寺と改め、円、密
、戒、浄の四宗兼学道場となりました。その後、応
仁の兵火に遭い、又元亀二年の信長の比叡山焼き打
ちに遭遇しますが、正親町天皇の勅命を受け、天正
元年(1573)に現在地の紫式部邸宅址に移転しました
当地は紫式部の曽祖父の中納言藤原兼輔から伯父の
為頼、父の為時へと伝えられた広い邸宅でした。
鴨川の西側の堤防の西に接して営まれていたため
「堤邸」と呼ばれ、それに因んで兼輔は、「堤中納
言」と呼ばれていました。紫式部は百年ほど前に兼
輔が建てた「旧い家」で一生の大部分を過ごしたと
いわれ、この邸宅で藤原宣孝との結婚生活を送り、
一人娘の賢子(大弐三位)を育て、源氏物語を執筆し
ました。 現在の本堂は、宝永五年(1708)、天明八
年(1788)に相ついで焼失し、 寛政六年(1794)に光
格天皇が仙洞御所の一部を移築し、女院、閑院宮家
の御下賜でもって改装されたものです。明治維新ま
では御黒戸四箇院と云って、宮中の仏事を司る寺院
が四ヶ寺(廬山寺、二尊院、般舟院、遣迎院)あり、
その中の一つでした。本堂内亜には紫式部や「源氏
物語」に関わる様々な物が展示されていて、庭園は、
枯山水の桔梗で有名な「源氏の庭」があり、清楚な
感じの庭園です。
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