県 大阪
朱印シュイン番号バンゴウ M32
寺 社 名 鵲森宮(かささぎもりのみや)
ベツショウ etc 森之宮神社
トコロ ザイ 大阪市中央区森之宮中央1-14-4
      
サン オガ H31.2.17
      
オモな札所  
   
   
主 祭 神 用明天皇、穴穂部間人皇后、聖徳太子
特記トッキ事項ジコウ
 JR環状線・地下鉄中央線の森之宮駅から南へすぐ
の所にあります。由緒書きによると、大阪が「押照
や難波」(*)と詠まれていた崇峻天皇2年(589)に、
聖徳太子は物部守屋との戦いに必勝を祈願し、勝っ
た暁には四天王像を造ることを誓いました。そして
その戦いに勝利し、まず父母の用明天皇と穴穂部間
人皇后を神としてお祀りし、その後、四天王像を造
って この森に元四天王寺を創建しました。 御父・
用明天皇崩御の後、太子は自ら尊像を彫刻し、宮殿
を造営しました。当初は境内地も方八町あったとい
われています。そして本殿、拝殿をはじめ楼門に至
るまで華麗で、目を驚かすばかりだったようです。
それ故、古地図、古文献などにも多数記された由緒
ある古社であり、さらに人皇31代用明天皇ならびに
穴穂部間人皇后を祀る日本唯一の神社です。しかし
ながら、時移り世が替わると御社の衰えも大層はな
はだしく、今は小社に鎮守していますが、この宮所
は実に1400年の歳月を経ています。境内は狭く小さ
い神社ですが、大阪城のすぐ近くにあり、この辺り
の地名の森之宮の由来にもなっており、歴史のある
神社です。
(*)押照やは難波の枕詞
  
 
<拝観資料>
 









     
神 社 前 正面鳥居

五幸稲荷社   手 水 舎

 拝   殿 鳥居と社務所(奥)


 
社務所の前に古い鳥居がありました。
田沼玄蕃 安政2年の文字が刻まれていました。

亀 井 水  亀井水の説明書き   

このあたりに温泉が湧き出していて、長寿の水ということで、
聖徳太子が亀井水と名付けたようです





 大友家持の歌碑  歌   碑

小倉百人一首で馴染みの家持の歌碑がありました
「鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白き を見れば 夜ぞ更けにける」
 

  西側鳥居