府 県 |
大阪 |
朱印番号 |
M21 |
寺
社 名 |
壺井八幡宮 |
別称
etc |
|
所
在
地 |
大阪府羽曳野市壺井605-2 |
山
号 |
|
参
拝
日 |
H30.11.4 |
宗
派 |
|
主な札所 |
|
|
|
|
|
主 祭
神 |
誉田別尊、仲哀天皇、神功皇后 |
特記事項 |
近鉄南大阪線の上ノ太子駅から西北西へ1.5km
の所にあります。二の鳥居をくぐり、参道を進むと
正面に立派な拝殿と本殿が見えます。しかし、その
隣にも立派な拝殿と本殿が見えるので、神社方に聞
いてみると、右側が壺井八幡宮の本殿で左側は摂社
の壺井権現社の本殿とのことで、人によっては壺井
権現社だけを参拝される人もいますよとのことでし
た。1038年に源頼義の長子八幡太郎義家がこの地に
誕生、続いて次男加茂次郎義綱、三男新羅三郎義光
が誕生したことにより、この地は河内源氏の発祥の
地となりました。壺井八幡宮は第70代後冷泉天皇の
永承6年(1051)に奥州に安倍頼時とその子貞任・宗
任の乱がおこり頼義公に賊を平定するようにとの勅
命が下り、鎮守府将軍陸奥守に任ぜられました。出
陣に際し、石清水八幡宮に詣で戦勝を祈願し、12年
3ヶ月の苦戦の末康平5年(1062)に平定をしまし
た。凱旋後、誓願の験ありとして、康平7年(1064)
に社殿を建立し石清水八幡宮の神霊を遷し祭ったの
が、壺井八幡宮です。この時、香呂峰の地名を壺井
と改めました。一方、壺井権現社は天仁2年(1109)
に義家の5男左兵衛尉義時が、父祖三将軍の夢のお
告げに「吾等三者の霊を祭祀すべし。然らば、王城
を鎮護し、永く源家の守護神たたらん。」とあった
ことにから八幡宮西方に地を選んで社殿を造営し、
三将軍の荒御霊を奉斎し、壺井宮と称し、河内源氏
の崇廟とました。源氏三社(*)の一つとなっていま
す。驚いたのは、樹齢1000年になる楠木でその大き
さもさることながら、その枝振りが豪快で圧倒され
されます。
(*)京都:六孫王社、摂津:多田社、河内:壺井宮)
|
|
|
|