大阪
朱印シュイン番号バンゴウ M14
寺 社 名 如願寺
ベツショウ etc  
トコロ ザイ 大阪市平野区喜連6-1-38
     霊峰山
サン オガ H30.10.27
宗   派 真言宗御室派
オモな札所 摂津国三十三箇所第32番
  摂津国八十八箇所第37番
   
ホン ソン 聖観世音菩薩
特記トッキ事項ジコウ
 地下鉄谷町線の喜連瓜破駅から北東へ850mの
所にあります。境内の縁起書きによると、この
辺りの地名は『喜連』と書いて『きれ』と読み
古事記伝にも言及されている古い地名です。如
願寺も当初は「喜連寺」として創建されました。
用明天皇の時代、聖徳太子が仏法興隆の地とし
て当寺を建てたと言われています。西には阿弥
陀寺、東に弥勒寺、南に薬師如来をまつる湯谷
寺、その他別院として橋本寺・松本寺・善法寺
・高野寺を擁する大伽藍であったされています。
その後堂宇は縮小しましたが、230年後の 弘仁
8年、空海が高野山巡錫のみぎり、この霊場に
詣で、その衰退を悲嘆し、杖を立てそれが朽ち
ないうちに再建の願いを立て上京し、勅許をこ
うむって来てみると杖は植木の如くになってい
ました。弘仁11年に諸堂を再建し、この時
「如願寺」と寺名を改め、脇士不動明王・毘沙
門天を自作安置し、鎮守堂を建立したといわれ
ています。大永年間以後、兵火震災にあい、諸
堂は消失しましたが、現在の本堂は享保年間に
再建されました。台風21号の影響か手水舎の裏
にある弥勒堂や山門は工事中でした。尚、この
寺の山門と隣り合って楯原神社があり、鎮守社
かと思いましたが、どうやらそうではないよう
です。 
  
 
         
山   門     山   門

手 水 舎     手 水 舎
 
手水舎の後ろが弥勒堂で現在工事中でした

今回は修理が完了していました

本   堂     寺務所(納経所)
 

一願喜連不動入口     一願喜連不動

弥勒堂     弥勒堂の扁額
 

如願寺境内の変遷書き     彩色観世音菩薩と地蔵菩薩の説明板

左の変遷書きの裏側にありました

寺の縁起板     
   

山  門 山  門 

隣の楯原神社との境界にありますが屋根が
壊れて工事中でした

今回参拝したときには、修理が完了していました