府 県 |
大阪 |
朱印番号 |
M04 |
寺
社 名 |
茨木神社 |
別称 etc |
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所
在
地 |
大阪府茨木市元町4番3号 |
山
号 |
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参
拝 日 |
H30.10.02 |
宗
派 |
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主な札所 |
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主 祭
神 |
建速素戔嗚尊 |
特記事項 |
阪急京都線の富田駅から西北西へ700mの所にあり
ます。由緒書きによると、「大同2年(807)坂上田村
麻呂が荊切(*)の里をつくりしとき、天石門別神社
が鎮座された」と伝えられています。そしてこの荊
切の里は今日の宮元町付近と伝えられています。
しかし、大同2年から逆上ること3年前、延暦23年
(804)に坂上田村麻呂公は、和泉・摂津両国に天皇
巡幸時の仮宮殿・行宮設定のために派遣され両国の
各所を巡視されています。また、延暦年間は、東北
征討を通して東北から摂津・和泉へ、関東各地から
東北へ人が移動定住した時代でもありました。そし
て延暦24年(805)は長岡京・平安京の二度の造都事
業と度重なる東北 征討軍事によって農民が疲弊し
ているとして、民政安定へ朝廷の方針が変更決定さ
れた年でもあり、このような時代の背景が起因して
いるのではないかと考えられています。中世に入り
楠木正成公が村近くに砦を築いて後、戦国時代には
城郭が整えられ惣構形成の過程で、茨木村はそれま
での農村的集落から城下町へと変貌し、天石門別神
社も現在地へ 奉遷されました。
(*)荊切(いばらきり):大きな野原があり、此の野
原には荊(いばら)が生い茂っていて、これを切開
いて部落をつくったため、荊切(いばらきり)の地
名が生れ、荊木(いばらき)となり、約750年前に坂
上田村麿呂が現在の『茨木』にしたといわれていま
す。
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