大阪
朱印シュイン番号バンゴウ H35
寺 社 名 法案寺
ベツショウ etc  
トコロ ザイ 大阪市中央区島之内2丁目10-14
     志宜山
サン オガ R01.11.05
宗   派 高野山真言宗
オモな札所 摂津国八十八箇所第1番
  大阪七福神 (弁財天)
   
ホン ソン 薬師如来
特記トッキ事項ジコウ
 地下鉄日本橋駅・近鉄日本橋駅から北へ400mの
所にあります。拝観資料によれば、推古天皇の時
代(593~628) に聖徳太子が志宜野(現在の大阪市
城東区鴫野)に法案寺を建立しました。 その地名
から山号を「志宜山」とし、仏法弘通の公案をし
たところから寺号を「法案寺」としたといわれて
います。その頃難波津と呼ばれていた大阪は交通
の要所として栄えており、四天王寺と共に難波津
を守る大伽藍が軒を連ねていました。生玉明神と
習合して寺運も大きく栄えました。後になって衰
微しまたが、 応永年間(1394~1428)に松永政廣
が称光天皇の勅命を受け、法案寺の再興に尽力を
しました。豊臣秀吉が大坂城を築城するとき、法
案寺は法円坂町付近にありましたが、天正11年(1
583)、生玉明神とともに馬場崎(大阪市天王寺区生
玉町)に強制移転させられました。法円坂の語源は
この法案寺の、法案~法眼~法円となまったもの
といわれています。明治時代に入り、廃仏棄釈に
遭って寺領を失った当時の法案寺住職・栄達は本
堂から聖観音と聖天堂の歓喜天を持ち出し、明治
16年(1883)に現在地である大阪市中央区島之内2
丁目に法案寺を復興再建したが、 境内地は生玉
町にあった頃と比べるとはるかに狭くなりました。
又、太平洋戦争による大阪大空襲があり、法案寺
は本堂・諸堂とともに焼失した。聖観音・歓喜天
は焼失せず、仮本堂に祀られています。道頓堀・
宗右衛門町と大阪の南の繁華街にありますが、お
寺の中は非常に静かです。
  
 

 

<拝観券/拝観資料>
       

 

山   門     手 水 舎

常香炉と本堂     本   堂
 

 

弁 天 堂     弁 天 社

社 務 所       水掛不動
 

稲 荷 社     十三重石塔