滋賀
朱印シュイン番号バンゴウ F44
寺 社 名 永源寺
ベツショウ etc  
トコロ ザイ 滋賀県東近江市永源寺高野町41
     瑞石山
サン オガ H29.11.19
宗   派 天台宗
オモな札所  
   
   
ホン ソン 世継観世音菩薩
特記トッキ事項ジコウ
 近江鉄道の八日市駅より近江バスで永源寺前
で下車、すぐの所にあります。拝観資料による
と、当山は室町峙代のはじめ康安元年(1361)に
近江の領守佐々木氏頼が寂室元光禅師の高徳を
慕い、風光明媚なこの地に伽藍を創建し、禅師を
迎えて開山されました。寂室禅師の名声は高く
当時2千人あまりの修行僧が集いました。また、
後光厳天皇や足利義満らも深く崇信され、寺領
など多くを寄進されました。禅師の亡き後も4
人の高弟により大いに隆昌しましたが、戦国時代、度重なる兵火によって寺院堂宇ことごとく
を失いました。江戸初期の寛永8年(1631)に妙
心寺の別峰紹印禅師は永源寺の衰退を嘆き、自
ら石を曳き土を運んで方丈等の再建に尽力しま
した。また第79世空子和尚は名声高い一絲文守
禅叩(仏頂国師)に懇請し、寛永20年(1643)禅師
は第80世として住山、後水尾天皇や彦根藩井伊
家の帰依を得て伽藍が再興され、再び法燈が輝
いたのです。当寺は臨済宗永源寺派の本山とし
て、寺内奥には僧堂を擁し次代を担う修行僧が
日夜研鍛しています。境内には質朴な伽藍が並び、葭(よし)葺の大屋根の方丈には子授け・子
孫繁栄の霊験あらたかな本尊・世継観音菩薩を
お祀リした、閑静な枯禅の古刹です。臨済宗永
源寺派の総本山として僧堂を擁し、修行僧が日
夜研鑽しています。近江市永源寺地区は、永源
寺コンニャクや政所茶の産地であり、境内には
芭蕉のこんにゃくに関する句碑や、茶筅塚があ
ります。又、参道の横を流れる愛知川に映える
紅葉は圧巻です。
      
 

 

<拝観券/拝観資料>  












 

愛 知 川     和泥水(地蔵尊)
愛知川に架かる旦度橋から撮影しました。
永源寺は左手になります。
  和泥水(和泥合水)とは道元禅師の言葉で「泥まみれになって尽くす」と言う意味です。
見えにくいですが正面中程に地蔵が見えます

  羅 漢 坂     
   

十六羅漢    十六羅漢
   

 

  参道からの愛知川と紅葉   
   
洗 耳 水 総   門    
この手水舎は耳の形をしていて、洗耳水の意味は耳にこびりついた世俗の考え方を洗え(捨てよ)というものです。  
参  道     山門前の風景
 
総門から山門への参道
   
少し高台になった所からの山門前の風景です

山 門 前     山  門
     
二階建ての立派な山門です。楼上には釈迦三尊像と十六羅漢を祀っています。しかし、登ることはできません。


鐘   楼     本   堂
     

法   堂     禅   堂
 

開 山 堂  経   堂   
 

  納 骨 堂     
   

 空 院    専門道場(僧堂)   






含空院の庫裏で、『禅』を専門に学ぶ道場」で、 修行僧が禅堂で修行する人(堂内)と、庫裡において炊事や寺務をしながら修行をする人(常住)に分かれており、あわせて「僧堂」と呼んでいるようです。

不動明王     
   

池の逆さ文字       芭蕉の句碑

開山堂近くの池に『永源寺』の文字がなぜか逆さに書かれていて、水面に正常に移っています。
 
当寺発祥と言われる『永源寺こんにゃく』にちなみ、
芭蕉の句碑がありました
こんにゃくの さしみもすこし 梅の花

開山堂前の霊楓     開山御手植の石碑

開山の寂室禅師が手ずから植えられたという霊楓で、秋には重く深みのある赤色に紅葉します。
 

風  穴     茶 筅 塚
 参道から脇にくぼんだ石垣があり、その奥は自然の洞穴になっており、涼しい風が吹き出ています。が、 安全のため石垣でふさがれており、洞穴に入ることはできません。  

 

  愛 知 橋