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府 県 |
滋賀 |
朱印番号 |
F41 |
寺
社 名 |
百済寺 |
別称
etc |
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所
在
地 |
滋賀県東近江市百済寺町323 |
山
号 |
釈迦山 |
参
拝
日 |
H29.11.19 |
宗
派 |
天台宗 |
主な札所 |
聖徳太子霊跡34番 |
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御
本
尊 |
十一面観音 |
特記事項 |
東海道線能登川駅から近江鉄道バスで、百済
寺本町バス停から東に 1.2kmの所にあります。
拝観資料の略歴によると、当山は、推古天皇の
御代に聖徳太子の御願により百済人のために創
建された古刹です。開創当時の御本尊は太子自
作の「植木の観音」であったと伝えられています。又、御堂は百済国の梵閣{龍雲寺」を模し
て建てられ、開祖に当たっては高句麗の僧・恵
慈を咒願とし、その後の供養には、百済の僧が
任ぜられました。その後、時代は移り平安京に
都が定められ、比叡山に天台宗が開創されると
やがて当山も天台の寺院となり、その規模は拡
大され、湖東の小叡山と称されるほど壮大な寺
院となりました。しかし、明応7年に自火によ
り本堂附近の建物を焼失し、文亀3年には、戦
乱による災厄に遭い、荘厳な古建築物を多くを
焼失しましたが、当時はなお再興し得る勢力を
保っていました。しかし、信長の兵火によりこ
とごとく、焼失してしまいました。僅かに御本
尊等数体の主な仏像と、重要な経巻を奥ノ院西
ケ峰に遷座守護し辛うじて難を免れました。
その後、寛永年間には天海大僧正の高弟・亮算
が入寺し伽藍の再興を計りました。 慶安3年、
本堂・仁王門・山門等が竣工し、これが現在の
建築物です。金剛輪寺、西明寺とともに湖東三
山になっています。紅葉の名所で秋には多くの
人が訪れます。特に喜見院の庭園は『天下遠望
の名園』と呼ばれ見事なものです。
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