京都
朱印シュイン番号バンゴウ E21
寺 社 名 聖護院門跡
ベツショウ etc  
トコロ ザイ 京都市左京区聖護院中町15
     なし
サン オガ H28.11.17
宗   派 本山修験宗
オモな札所 近畿三十六不動尊第十八番 
   
   
ホン ソン 不動明王
特記トッキ事項ジコウ
  京阪の神宮丸太町駅から東北東へ 1kmの所
にあります。お寺の由来によると、天台の第
5代座主・智證大師円珍が、熊野那智の滝に
一千日篭居をした後、熊野より大峰修行を行
いました。その後大師の後を継ぎ、常光院の
増誉大僧正が大峰修行を行い、修験僧として
名をはせました。この増誉大僧正は寛治4年
(1090)の白河上皇が熊野三山を参詣する熊野
御幸に際して先達を務め、その功績によって
聖体護持の2字をとり、聖護院という寺を賜
ったのが聖護院の始まりです。増誉大僧正は
この時熊野三山検校職に任命され、本山派修
験の管領として全国の修験者の統括を命じら
れ、聖護院の最盛期には全国に2万余の末寺
をかかえる一大修験集団となりました。この
後、上皇によって行われた熊野御幸の案内は
代々聖護院大先達が勤め、「伊勢へ七たび、
熊野へ三たび 愛宕まいりは月まいり」と言
われるほど、熊野詣は盛んになり、また愛宕
山も修験の行場として栄えました。後白河天
皇の皇子・静恵法親王が宮門跡として入寺さ
れてより後、明治維新まで37代門主のうち
25代は皇室から、12代は摂家から門跡と
なりました。皇室と関係の深い寺院です。
しかし応仁の乱で焼失、洛北岩倉へ移ったの
ですが再び火災に遭ってしまいます。その後
烏丸今出川に建てられた伽藍も延宝の大火で
延焼し、同4年(1676)に旧地に復旧しました。
現在の建物はこの時のものですが、全国の教
信徒の協力を得て数年をかけ修理し、平成12
年に完成しました。和菓子の聖護院八ツ橋や
京野菜の聖護院大根・聖護院かぶ・聖護院き
ゅうりの発祥の地としても有名です。
    
 

 

       

   

 

山   門     大 玄 関
   

境内入口 宸   殿  
     


 本 堂 (不動堂)    十三重石塔
   

 

聖護院山王権現社     長 屋 門 

 

宿坊入口     宿   坊
 

積善院準提堂(塔頭)

山   門    拝   堂

 

元 本 堂     本   堂