奈良
朱印シュイン番号バンゴウ E16/Q29
寺 社 名 法起寺
ベツショウ etc 岡本寺
トコロ ザイ  
     奈良県生駒郡斑鳩町岡本1873 
サン オガ H28.10.01
宗   派 聖徳宗
オモな札所 聖徳太子霊跡17番
  大和北部八十八ヶ所霊場 第52番
   
ホン ソン 十一面観音菩薩 
特記トッキ事項ジコウ
 JR関西本線の法隆寺駅から北東へ 3kmの所にあり
ます。拝観資料の沿革によると、法起寺は岡本尼寺
・岡本寺と呼ばれています。推古14年(606)に聖徳
太子が法華経を講説したという岡本宮を寺に改めた
と伝えられています。法隆寺、四天王寺、中宮寺な
どと共に、太子御建立七ヵ寺のーつにかぞえられて
います。創建の由来については『聖徳太子伝私記』
に記録され当寺の三重塔にあった露盤銘によると、
推古30年(622)に聖徳太子はその薨去に臨み、長子
の山背大兄王に宮殿(岡本宮)を改めて寺とするこ
とを遺命し、山背大兄王は大倭国田12町、近江国の
田30町を施人したといわれています。その後、舒明
10年(638)に福亮僧正が聖徳太子のために、 弥勒像
一体と金堂を造立し、 天武14年(685)には恵施僧正
が宝塔の構立を発願し、慶雲3年(706)に塔の露盤を
作ったとされています。この露盤銘に記すように近
年境内の発掘調査の結果、前身建物の遺構の一部が
確認されており、法起寺の建立以前に岡本宮と見ら
れる宮殿が存在していたことが明らかになりました
奈良時代には栄えていましたが、平安時代から法隆
寺の指揮下に入り、寺運も徐々に衰微しました。
が、鎌倉時代には講堂や三重塔が修復されています
しかし、室町時代に再び衰え、江戸時代のはじめご
ろには三重塔を残すのみでした。その荒廃を憂い、
当寺の再興を発願した寺僧の真政圓忍とその弟子た
ちは、延宝6年(1678)に三重塔を修復しました。そ
れ以降も寺僧たちの努力によって、元禄7年(1694)
に講堂を再建、文久3年(1863)に聖天堂を建立し、
現在の寺観が整えられています。田園風景の中に佇む、のどかな感じのお寺です。三重塔は国宝で美しく、特に池越しから見る塔は絶品です。又、木造十一面観音立像、銅造菩薩立像等の文化財も重文となっています。
             
 

 

<十一面観音・御本尊> <法華経講讃・聖徳太子霊跡17番> <朱印薄紙>
   









 

 

<拝観券> <拝観資料>  
 
 










 

 

法起寺の外塀 西 門 前
   

 西 門 (表門)   拝観受付

拝観はこちらからになります
 
拝観受付と御朱印はこちらになります

 庫  裏       収 蔵 庫
     この収蔵庫に十一面観音菩薩(重文)をはじめ、
貴重な仏像が収納されていますした

 

国 宝




境内から
 
   
 





コスモス畑から

 

三重塔の水煙   池越しの三重塔


 
 


講   堂 聖 天 堂
 

  境内の建物  





 

 

鐘 楼 跡       由 緒 板
 

 

南 大 門       南大門 (内側)
 

 

法起寺遠景       法起寺遠景