県 大阪
朱印シュイン番号バンゴウ E09
寺 社 名 石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)
ベツショウ etc  
トコロ ザイ 大阪府東大阪市東石切町1-1-1 
      
サン オガ H28.08.21
      
オモな札所  
   
   
主 祭 神 饒速日尊、可美真手命
特記トッキ事項ジコウ
  近鉄けいはんな線の新石切駅から北東へ650m
(近鉄奈良線の石切駅からは西南西へ1.1km)の
所にあります。拝観資料・御由緒によると、石
切劔箭神社は今からおよそ七百年前、足利時代
の末に兵火にかかり、社殿及び宝庫が悉く消失
したため詳らかではありません。しかし延長5
年(927)に編纂された『延喜式神名帳』の中に
は、既に「石切劔箭命神社二座」と記載されて
おり、また延喜元年(901)に成立した『日本三
代実録』には貞観7年に、本社の社格が正6位
から従5位に昇格されたことが記されています。
また、天文5年(1536)に当神社社家の祖先藤原
行春大人が社家に伝わる口伝をまとめた『遺書
伝来記』によると、神武天皇紀元2年、現生駒
山中の宮山に饒速日尊を奉斎したのをもって神
社の起源とし、崇神天皇の御代になって「下之
社(現本社)」に可美真手命が祀られたとあり
ます。爾来、悠久の歴史を通じて、朝夕御皇室
の御安泰と日本国の隆盛、無事繁栄を御祈願し
祭祀を継承し続けて今日に及んでいます。本社
の祭祀は代々木積家が司ってきましたが、『木
積』という姓は本来『穂積』といい、饒速日尊
の第七代目に当る伊香色雄命がこの穂積姓を始
めて名乗りました。この木積という姓は、古代
に天皇の側近として仕えた物部氏の最有力氏族
の一つ『穂積』から転じたものです。そして
物部氏は石切劔箭神社の主祭神である饒速日尊
の子孫にあたります。古くから『でんぼの神さ
ん』として、腫れ物を治す神様として有名です
が、このでんぼという言葉は関西では、腫れ物
という意味ですが、本来は『伝法』であるとさ
れています。又、ここの『お百度参り』は全国
的に有名で、本殿前の境内には、病気平癒を祈
願して、お百度石を多くの人が行き来する姿が
みられます。絵馬殿は豪華な造りで、まるで寺
院の山門であるかの印象を受けます。
       
 

 

 

   

<拝観資料>  
 
 

二之鳥居 南駐車場付近


 
 
一之鳥居下は道路になっていて、写真右側が南駐車場
になっています

絵馬殿前の注連柱 絵 馬 殿


 
屋根の上には剣と矢があります

この絵馬殿にしては非常に珍しく、寺院の山門のようでもあり、非常に立派で豪華な造りになっています。

饒速日尊の像 可美真手命像
神社の名にふさわしく、剣と矢を持った神様が左右にあります。口元は阿吽形になっ
ている気がします

親子連牛像 絵   馬

絵馬殿の左前には牛の親子像があります
 

衛士詰所 三の鳥居
 

水 神 社    手 水 舎
 

神 馬 像   五社明神社
   
恵比須大神、大国主大神、住吉大神、稲荷大神、八幡大神

 神 武 社 遥 拝 所

神武天皇が祭られています
 

境内案内図   御 神 木
   

  本   殿  

 

お 百 度  灯  籠

この日は平日で人出が少ない日でしたが、それでもひっきりなしに多くの人が病気回復を祈願してお百度参りをしています。
 
遥拝所の裏側にある灯籠

神 楽 殿  神 輿 殿 
   

授 与 所 祈祷受付
 

崇敬会館 庭   園
 

穂積殿への通路 祈 り 亀

 本殿(左)と授与所(右)の間には太鼓橋のような
渡り廊下があります。この下を潜って行くと穂積殿へと進みます・
 

 穂積神霊社の鳥居 穂積神霊社
 

穂 積 殿  東 鳥 居

乾明神社 北手水舎
 

前:納札所 中:神火祭場 後:神火殿 前:神火祭場 後:神火殿

神 火 殿
   

 

石切参道商店街

三の鳥居前には東西に長い商店街が続いています。飲食店やお土産屋が多くあります。中でも占いの店が非常に多いのには驚きました。