県 京都
朱印シュイン番号バンゴウ E06
寺 社 名 石清水八幡宮
ベツショウ etc  
トコロ 京都府八幡市八幡高坊30
      
サン オガ H28.06.11
      
な札所 神仏霊場巡拝の道81番
   
   
主 祭 神 中御前:応神天皇 西御前:比咩大神
東御前:神功皇后 
特記トッキ事項ジコウ
 京阪の八幡市駅から社殿までは 1.3Kmの所にあ
ります(男山ケーブルで2分)。 拝観資料の由緒に
よると、清和天皇の貞観元(859)年、 南都大安寺
の僧・行教和尚が豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮
にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神の「吾れ都近
き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託
宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安したの
が当宮の起源です。貞観2(860)年に同所に八幡造
の社殿(六宇の宝殿)を造営し、遷座しました。
天慶2(939)年に起こった平将門・藤原純友の乱の
折には、朝廷より請願があり八幡大神の御神威を
もって速やかに平定されて以来、国家鎮護の社と
して皇室の御崇敬は益々厚いものとなり、天皇の
行幸や上皇の御幸は、円融天皇(第64代)の行幸以
来、実に240余度にも及び、 伊勢の神宮に次ぐ第
二の宗廟とも称されました。明治の初めには官幣
大社に列せられ、「男山八幡宮」と改称されまし
たが、「石清水」の社号は創建以来の由緒深い社
号であるため、大正7年には再び「石清水八幡宮」
と改称され現在に至ります。鶴岡八幡宮、宇佐八
幡宮と共に、日本三大八幡宮です。大きくは上院
(山上)と下院(山麓)に分かれています。
本殿・桜門をはじめ石清水八幡宮本社10棟が国宝
に指定されており、摂社の多く迄が重文に指定さ
れています。又、数多くの重要文化財があります
。又、松花堂弁当の由来になった、松花堂の草庵
の跡(現在の松花堂は男山南方に移築)がありま
す。 
    
 

<拝観資料> 
           

    <拝観資料>       
       

 

一の鳥居     北  門 (頓宮)
 

筒   井    南  門 (頓宮)
   

  頓   宮     
   

二の鳥居(表参道)   裏参道  

徒歩で山頂に行くには、この鳥居を抜けると表参道を経て
三の鳥居に着きます
 
二の鳥居の手前の右側に裏参道があり、
東総門辺りに着きます

高良神社     男山ケーブル駅
     徒歩が苦手な方はケーブルが出ています。
北総門の裏辺りに着きます。

 エジソン記念碑     小 塔 跡

エジソンは電球の発明で知られますが、この発光体である
フィラメントに八幡の竹が使用されたのだといいます。
 
石清水八幡宮はかつては神仏習合の流れを組む宮寺で、江戸時代までは境内に大規模な寺院建築が立ち並んでいましたが、明治の神仏分離令で寺の建築物は破却されてしまったようです。

 上院参道の石灯籠群     上院参道の石灯籠群

総門に向かう参道
 総門から見た参道

  御羽車舎   
   

 

石灯篭がある建物    石灯篭 (重文)

この建物の中の庭に石灯篭(重文)がありました
 
壁の格子から石灯篭が見えます

 手 水 舎     南 総 門(国宝)
   

 供 御 所 社  殿 (国宝)
 

  授 与 所
     

気比社(左)・水若宮社(重文)     若宮社(重文)・若宮殿舎(重文)
 

 貴船社・龍田社相殿    住吉社(重文)・一童社(右)
     

 校    倉 長田社(左)・生田社(中)・広田社(右)
     

 東 総 門 (重文)     東 総 門 (外側から)
   

 北 総 門 (重文)     西 総 門 (重文)
     

 楠木正成の楠木     西 総 門 (重文)

楠木正成が建武元年(1334)に必勝祈願参拝の折に
奉納したと伝わる楠です。樹齢700年らしく、
京都府指定の天然記念物となっています。
  この八幡の男山には多くの美しい竹林があります

男山展望台     谷崎潤一郎の文学碑

展望台には谷崎潤一郎の文学碑がありました

 
碑文には、蘆刈抄の一文が刻まれています。
この辺りは小説の舞台になったところのようです。
碑文の字は谷崎潤一郎の自筆の文字だそうです。