県 京都
朱印シュイン番号バンゴウ B10
寺 社 名 来迎院
ベツショウ etc  
トコロ ザイ 京都市左京区大原来迎院町537
     魚山
サン オガ H26.11.22
     天台宗
オモな札所  
   
   
御 本 尊 薬師如来(重文)
特記トッキ事項ジコウ
 京都バスの大原(バス停)から東に 1kmの所にあ
ります(三千院から東へ400m)。拝観資料の歴史に
よると、当院は魚山橋の東呂川に沿って参道を
300メートル登り、 下界と隔絶した雰囲気の天台
宗の古刹です。この来迎院のある大原の地は、平
安時代初期、日本天台宗を開宗した伝教大師最澄
の直弟子の慈覚大師円仁が声明(仏教歌謡)の修練
道場として開山しまし。円仁が中国(唐)に留学し
た際、五台山(山西省)の太原(タイユワン)を中心
に五台山念佛(声明)が流行していたのを学び、帰
国後比叡山に伝えました。この大原の地形は中国
の太源に似ていたので、大原の地を声明の根本道
場と定められました。声明とは経文に音曲をつけ
て歌詠するもので、音楽的な色彩が強く後の邦楽
(今様・浄瑠璃・謡曲・民謡)に強く影響を与えま
した。藤原時代には、俗化した比叡山を離れた念
仏聖が修行する隠棲の里となり、寂源が勝林院を
、叡山東堂の堂衆であった聖応大師良忍が来迎院
を建立しました。創建当時は多くの伽藍がありま
したが、応永33年(1426)に火災で焼失しました。
又、来迎院を建立された良忍上人は、円仁が伝え
た声明を統一し、魚山声明として集大成し、後に
天台声明の主流となりました。山奥の寂れた場所
に静かに佇む院ですが、本尊の薬師如来像が重文
になっている他、国宝の伝教大師度縁案並僧綱牒
等、多くの貴重な文化財を所有しています。
 
 

 

<拝観資料>

   

 

三千院から来迎院への道 来迎院受付案内

参拝入口    鐘   楼



鐘   楼     本   堂

本堂と収蔵庫(後)     本堂前から会館付近を見下ろす
   

収蔵庫内の仏具・絵画     収蔵庫内の仏具・絵画

慈覚大師真筆の両界曼荼羅(左)の掛け軸がありました