府 県 |
大阪 |
朱印番号 |
A47 |
寺 社 名 |
桜井神社 |
別称
etc |
上神谷八幡宮 |
所 在
地 |
大阪府堺市南区片蔵645 |
山 号 |
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参 拝 日 |
H28.02.27 |
宗 派 |
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主な札所 |
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主 祭 神 |
誉田別命 |
特記事項 |
泉北高速鉄道の栂・美木多駅から東に2.1km(泉ケ
丘駅からは北北西2.3km)の所にあります(泉ケ丘駅
からバスが出ています)。拝観資料の由緒略記によ
ると、当社の創立は古く、古代当地方に居住してい
た桜井朝臣の一族がその祖先武内宿禰命を奉斎した
とされています。推古天皇5年(597)に八幡宮を合
祀され上神谷八幡宮ともいわれました。応神天皇・
仲哀天皇・神功皇后を奉斎しています。古来、和泉
国大鳥郡上神郷の総鎮守として 967年には官幣社に
列せられました。歴代皇室の崇敬が厚く、事に当っ
て度々祈願をされ、神領として荘田を寄進されまし
た。中世武家の尊崇深く、建武4年(1337)に上神
城主上神常儀が社殿を造営し、また南北朝時代には
当社及び氏子は南朝に属し、上神・和田・桜井・木
寺等の武将は、度々戦勝の祈願をこめ、御供田を献
納して当社の奉護に尽しました。神域は広大で社殿
は荘厳を極めましたが、天正5年(1577)に織田信長
の根来寺征伐の兵火にかかり、神宝古記録を焼失し、
神領も没収せられ、社頭は一時荒廃しました。その
後、天正16年(1588)に加藤主計守清正の発願により
先ず阿弥陀堂が再建せられ、次いで元禄15年(1702)
に神門を再建、更に享保16年(1731)には鐘楼と宝蔵
が再建されました。慶応4年(1868)の神仏分離に際し、仏像仏具経巻等は、片蔵の金福寺へ移管し、阿
弥陀堂は、別所の法華寺へ譲渡した。又鐘楼は、
神輿庫に改造し現存しています。拝殿は鎌倉前期の
建立で、内部中央は土間の馬道とする割拝殿になっ
ていて、堺市唯一の国宝に指定されています。神門
があり、全体的に寺院の雰囲気がある静かな落ち着
いた神社です。
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