府 県 |
大阪 |
朱印番号 |
A46 |
寺 社 名 |
叡福寺 |
別称
etc |
上の太子 |
所 在
地 |
大阪府南河内郡太子町太子2146 |
山 号 |
磯長山 |
参 拝 日 |
H28.02.19 |
宗 派 |
真言宗系単立 |
主な札所 |
新西国三十三箇所客番 |
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神仏霊場巡拝の道 第57番 |
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河内西国三十三箇所21番 |
ご 本 尊 |
聖如意輪観世音菩薩 |
特記事項 |
近鉄長野線の喜志駅から東に 3.8km、近鉄南
大阪線の上ノ太子駅からは南へ 2.1kmの所にあ
ります。境内の縁起板によると、戦後単立寺院
となりましたが、もとは古義真言宗金剛峯寺の
末寺で、所在地であるかつての郡名や地名に囲
んで石川寺・磯長寺などと称されていました。
聖徳太子の磯長墓を祭祀守護する性格の寺院で
あるところから太子寺・御廟寺・聖霊院の号も
あり、四天王寺・法隆寺とならんで太子信仰の
中核をなした寺院です。太子建立の伝説をもつ
八尾市大聖勝軍寺の「下の太子」、羽曳野市野
中寺の「中の太子」に対し、「上の太子」と称
され親しまれています。寺院の建立は明らかで
はありませんが、寺伝によると推古天皇30年
(622)に聖徳太子の陵墓を守護し永く追福を営
むために一堂を構えたのが当寺のはじまりで、
神亀元年(724) 聖武天皇の勅願によって伽藍を
造営さえたといわれ、もとは法隆寺のように東
西両院からなり東の伽藍を転法輪寺西の伽藍を
叡福寺と称したと伝えられています。現在の伽
藍は天正2年(1574)織田信長の兵火で焼失した
あと相前後して再建されたもので広大な境内に
は金堂、聖霊殿、宝塔などの堂塔が建ちならび
由緒ある寺院としての風格を保っています。聖
霊殿・多宝塔は重文に指定されています。寺の
周りには太子霊園や太子の御廟など町の名称も
太子町となっていてます。大阪の寺院にしては、
境内は非常に広く、又、静寂で重厚な雰囲気を
持つ寺院です。
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