大阪
朱印シュイン番号バンゴウ A35/M01/P40/P41
寺 社 名 天野山金剛寺
ベツショウ etc 女人高野
トコロ ザイ 大阪府河内長野市天野町996 
     天野山
サン オガ H27.09.05
宗   派 真言宗御室派大本山
オモな札所 新西国三十三箇所7番
  神仏霊場巡拝の道 第55番
   
ホン ソン 大日如来 
特記トッキ事項ジコウ  
 南海高野線の河内長野駅から南西へ5.6km(河内
長野駅から南海バスで天野山下車すぐ )の所にあ
ります。拝観資料によると、 金剛寺は奈良時代・
天平年間(729~749年)に聖武天皇の勅命により、
当時の高僧である行基によって開かれたといわれ
ています。又、平安時代に弘法大師が密教修行し
た聖地といわれています。その後、寺は衰退し、
堂塔・伽藍は荒廃しました。しかし、平安時代の
終わりに高野山より阿観上人が、この地に住み、
後白河上皇とその妹の八条女院の篤い帰依と庇護
を受けました。そして阿観上人は、高野山より真
如親王筆の弘法大師像を拝受し御影堂を建立し、
弘法大師御影供の法要を始めると共に、 金堂(本
堂)、 多宝塔、楼門、食堂などの伽藍を再興しま
した。その縁をもって、金剛寺は、八条女院の祈
願所となりました。再興当時から弘法大師をお祀
りして、更に女性が弘法大師にお参りができたこ
と(当寺は女人禁制のお寺が多かった)、また、
八条女院の侍女が阿観上人の弟子となり、二代続
けて住職となったことから、「女人高野」と呼ば
れるようになりました。当寺には重要な文化財が
非常に多くあり、木造大日如来坐像、木造不動・
降三世明王坐像3躯の仏像及び延喜式神名帳など
の国宝をはじめ、構造物でも桜門・金堂・多宝塔
・御影堂などが重文に指定されています。
  
 


大悲殿(新西国三十三箇所) 大伽藍(神仏霊場巡拝の道) <宝桜閣> <御詠歌>
       

 

<拝観資料> <拝観資料> <拝観資料>   <御朱印の薄紙>
 

 
 
 

 

南 大 門 由緒書き

総  門 (内側) 脇   門
 
駐車場へはこの門から入ります

水掛三尊仏 鎮 守 橋

戒 之 橋 禅 之 橋

戎之橋の向うには精進門があります
 
禅之橋の向うには無量寿院があります

忍 之 橋 講  堂
 
忍之橋を渡ると行動があります

摩尼院への参道 摩 尼 院 (重文)

   
 桜   門 (重文)   桜   門 (重文) 
 


  桜  門 (内側)  
   

持 国 天 増 長 天
  桜門には仁王像ではなく、増長天・持国天
が立っていました。仁王像のように阿形
(増長天)吽形(持国天)になっていました。
 
持国天の足元 増長天の足元
 

手 水 舎 納 経 所
 

食  堂 (重文) 食  堂 (重文)
   

多 宝 塔 (重文) 鐘   楼 (重文)
     

金   堂 (重文) 金堂入口柱の極彩色模様

五 佛 堂 薬 師 堂
 

御 影 堂 観月台(御影堂付属)
   

法 具 蔵 護 摩 堂 
     

 開 山 堂  天野山八十八箇所霊場への入口
     

  光厳天応陵  
   

 

宝   蔵 経   堂


龍 王 池
   


天照皇大神社 左:八大龍王・善女龍王社 右:弁財天社

境内全景
     

   
本坊表門 客殿前の庭園

こちらは北朝の御在所となっています。

客  殿 持 仏 堂

宝 物 庫 左:持仏堂  右:客殿

客殿前の手水鉢 奥殿から見た渡り廊下
奥殿内部   奥殿内部

北朝の御在所で光厳・光明・崇光の3上皇と直仁親王の4人が
使用していました



奥殿の仏像 奥殿の弘法大師の掛け軸

大日如来に似た仏像がありました。